東京高等裁判所 平成11年(行ケ)164号 判決 2000年2月24日
原告
信越半導体株式会社
代表者代表取締役
【A】
原告
株式会社日平トヤマ
代表者代表取締役
【B】
原告
三益半導体工業株式会社
代表者代表取締役
【C】
原告3名訴訟代理人弁護士
木下洋平
被告
特許庁長官【D】
指定代理人
【E】
同
【F】
同
【G】
同
【H】
主文
特許庁が平成10年異議第74722号事件について平成11年4月14日にした決定のうち、「特許第2731309号の請求項1ないし3に係る特許を取り消す。」との部分を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第1請求
主文と同旨の判決
第2前提となる事実(当事者間に争いのない事実)
1 特許庁における手続の経緯
原告らは、発明の名称を「ワイヤソー、及び、そのローラ軸支装置の温度制御方法」とする特許第2731309号(平成3年12月10日出願、平成9年12月19日設定登録。以下「本件発明」という。)の特許権者である。
【I】 は、平成10年9月25日、本件発明の特許につき特許異議の申立てをした。
特許庁は、この申立てを平成10年異議第74722号事件として審理した結果、平成11年4月14日、「特許第2731309号の請求項1ないし3に係る特許を取り消す。同請求項4ないし5に係る特許を維持する。」との決定をし、その謄本は、同年5月12日原告らに送達された。
2 本件発明1ないし3の要旨
(1) 本件発明1
複数のローリング装置が互いに平行に配設され、各ローリング装置は、ローラと、該ローラの一端部及び他端部をそれぞれ軸支する第1及び第2のローラ軸支装置とを有し、該複数のローリング装置のローラに、切断部形成のためにワイヤが複数回巻き掛けられたワイヤソーにおいて、該複数のローリング装置の該第1及び第2のローラ軸支装置の各々に、外部と連通する入り口路及び出口路と、軸受の外側に配設され一端部が該入り口路と連通し他端部が該出口路と連通した流路とが形成され、該ワイヤソーはさらに、タンク内の液体を各ローラ軸支装置の該入口路へポンプで供給し各ローラ軸支装置の該出口路から流出した液体を該タンクへ戻す液体循環装置と、各ローラ軸支装置の温度が所定値になるように該液体の流量又は温度を制御する制御装置と、を有することを特徴とするワイヤソー。
(2) 本件発明2
前記制御装置は、第1温度センサで前記タンク内の液体の温度を検出し、切断開始前において、タンク内液体検出温度が第1設定値になるように該液体を加熱又は冷却する、ことを特徴とする請求項1(本件発明1)記載のワイヤソー。
(3) 本件発明3
前記制御装置は、切断開始後において、該出口路から流出し該タンクへ戻される前の液体の温度を第2温度センサで検出し、その検出温度が第2設定値になるように該液体の流量を制御する、ことを特徴とする請求項1又は2(本件発明1又は2)記載のワイヤソー。
3 決定の理由
決定の理由は、別紙2決定書の理由写し(以下「決定書」という。)に記載のとおりであり、決定は、本件発明1ないし3は引用文献1(特開昭62-251063号公報)、引用文献2(実願昭62-182254号(実開平1-84802号)のマイクロフィルム)、引用文献3(「機械と工具」1988年7月号、70頁ないし75頁)に記載された発明に基づき容易に発明をすることができたものであり、特許法29条2項の規定により特許を受けることができないものであるから、その登録を取り消すべきであるが、本件発明4及び5は上記引用文献1ないし3及び引用文献4(特開昭52-119373号公報)に基づき容易に発明をすることができたものとはいえないから、その登録を維持する旨判断した。
第3決定の取消事由
1 決定の認否
(1) 決定の理由1(手続の経緯)、同2(本件発明)及び同3(引用刊行物)は認める。
(2) 同4-1(本件発明1について)のうち、(1)(本件発明1と引用文献1に記載された発明との一致点、相違点の認定。決定書9頁6行ないし10頁13行)は認める。(2)(相違点についての判断。決定書10頁16行ないし12頁2行)のうち、10頁16行ないし11頁8行は認め、その余は争う。
(3) 同4-2(本件発明2及び3について。決定書12頁4行ないし15行)は争う。
(4) 同4-3(本件発明4及び5について。決定書12頁17行ないし14頁5行)は認める。
(5) 同5(むすび。決定書14頁7行ないし15頁3行)のうち、15頁2行、3行は認め、その余は争う。
2 取消事由
決定(本件発明1ないし3に係る部分)は、課題設定の困難性又は構成の困難性についての判断を誤ったため、本件発明1ないし3の進歩性を誤って否定したものであるから、違法なものとして取り消されるべきである。
(1) 取消事由1(課題設定の困難性)
本件発明1ないし3は、引用文献1に記載された発明について、吸熱量の差により軸芯の一端から他端へ向けて温度勾配が生じることと、軸受部分におけるオイルの流路抵抗が大きいため、更に吸熱量の差が大きくなって温度勾配が大きくなるという解決すべき課題のあることを見いだしたため想到されるに至ったものであり、課題の設定自体に困難性があり、進歩性が認められるべきである。
ア ワイヤソーは、互いに平行な一定ピッチのワイヤ列に半導体インゴット等の被加工物を押し当て、ワイヤをその線方向に送りながら、被加工物とワイヤの間に砥粒を含む加工液を供給することにより、ラッピング作用で被加工物を切断してウエーハを形成して、一定の厚さのウエーハを多数枚同時に得ることができるものである。1回の切断に要する時間は、直径5インチのシリコン半導体インゴットで約6時間であるが、この間、切断条件を一定に保つことにより、ウエーハの面精度を高くする必要がある。
しかし、ワイヤと被加工物との摩擦による発熱やローラの軸受部での摩擦熱により、切断中にローラの温度が変動して、熱膨張でワイヤ列のピッチが変動し、ウエーハ表面にうねりが生じる。回路の微細化が進んでいる今日、ウエーハ表面のうねりは、半導体装置の歩留まりを大きく低下させるものである(甲第2号証【0002】、【0003】)。
そこで、このうねりを低減するものとして提案されたのが引用文献1に記載された発明であるが、同発明は、ころがり軸受によって支持される、例えば長さ1000mm程度の溝ローラを用いる一方向高速走行ワイヤソーにあっては、軸受の発熱と熱放射がバランスするまで溝ローラは温度変化して軸方向に伸縮するので、このような溝ローラの温度変化に起因するウエーハ精度の悪化、切断作業能率の低下を解消するために、溝ローラ及び溝ローラ軸受の温度上昇を抑制し、常に一定温度に保持しようとしたものであり(甲第3号証2頁左上欄18行ないし右上欄4行)、このような温度制御方法を発明の本質とするものである。
イ しかし、本件発明1ないし3の発明者は、引用文献1に記載された発明について、
① 吸熱量の差により軸芯の一端から他端へ向けて温度勾配が生じること、
② 軸受部分におけるオイルの流路抵抗が大きいため、さらに吸熱量の差が大きくなって温度勾配が大きくなること
という解決すべき課題のあることを見いだし、本件発明1ないし3を想到するに至ったものである。
ウ 引用文献1ないし3には、このような課題を示唆する記載はない。
(2) 取消事由2(構成の困難性)
ア 引用文献2
決定は、「引用文献2に記載されたものは引用文献1に記載されたものと同じく、ローラの軸支部の冷却に係るものであることで共通しており、これを引用文献1に記載されたローラ軸支装置に適用することに困難性は認められない。」(決定書11頁9行ないし13行)と判断するが、誤りである。
本件発明1ないし3及びその従来技術である引用文献1に記載された発明は、「半導体インゴット等の被加工物を切断してウエーハを形成するワイヤソー」という技術分野に属する(甲第2号証【0001】)のに対し、引用文献2に記載された発明は、「圧延機用ロール軸受温度調節装置」(1頁18行)の技術分野に属するものであるから、本件発明1ないし3及び引用文献1に記載された発明と引用文献2に記載された発明は、技術分野が全く異なる。したがって、本件において、引用文献2を推考容易の判断の資料として用いることはできないものである。
(ア) 本件発明1ないし3及び引用文献1に記載された発明の国際分類は、「B28D 5/04、B24B 27/06」(甲第2号証)である。他方、引用文献2の国際分類は、「B21B 31/07、F16C 37/00」(甲第4号証)である。
(イ) また、本件発明1ないし3及び引用文献1に記載された発明(前者)と引用文献2に記載された発明(後者)の間には、以下のような実質的相違がある。
まず、産業の分野として考えると、前者は、半導体製造の技術分野の一角を占めるもので、半導体インゴットからウエーハを切り出すという技術分野であるのに対し、後者は、金属素材製造産業の技術分野に属し、圧延工場において、高温の金属素材を板状に圧延するという技術分野のものである。
(ウ) 装置の構造と作用の面で考えると、前者は、互いに平行な一定ピッチのワイヤの列に半導体インゴット等の被加工物を押し当て、ワイヤをその線方向に送りながら、被加工物とワイヤの間に砥粒を含む加工液を供給することにより、ラッピング作用で被加工物を長時間かけて切断してウエーハを多数枚同時に形成するというものである(甲第2号証【0002】、図2)のに対し、後者は、一定の隙間を有する上下一対の圧延ロールの間に金属素材を送り込むことによって、金属素材を板状に成形するというものである。
そのため、前者では、複数のロールには、平行な一定ピッチで巻き掛けられたワイヤによって互いに近づこうとする引っ張り力が作用するのに対し、後者では、上下一対の圧延ロールには、その間に挟まれた金属素材によって、隙間を押し広げようとする力が作用するという基本的違いがある。
(エ) また、前者では、ローラの外周に形成されたワイヤ案内用の溝のピッチが重要であり、このピッチが少しでも変化すると加工精度に影響する。したがって、ローラの長手方向の変位を極度に抑制する工夫が必要とされる。
他方、後者は、金属素材を2本のロールで挟んで成形することから、ロールの隙間寸法が重要であり、ロールの半径方向の変位を防ぐ工夫が必要とされる。
(オ) さらに、後者の技術課題としては、従来、ケーシングを介して外側から軸受を冷却すると、軸受の外輪が冷えて内輪との温度差が大きくなり、両輪の隙間が減少するため、隙間の大きな軸受を選択する必要があり、圧延精度が悪かったことが挙げられており、これを解決するため、軸受に直接潤滑油を供給して両輪の温度差を小さくしようとしたものである。しかし、このように、軸受に直接潤滑油を供給することは、本件発明1ないし3で解決すべき課題のある従来技術として説明されていることにすぎない。
イ 引用文献3
決定は、「その適用に際して、引用文献2に記載されたように軸受けを直接冷却するか引用文献3に記載されたように軸受けの外側に形成した流路により冷却するかは、軸受けの潤滑を同時に行うか等も考慮し、直接的冷却と間接的冷却とのどちらを選択するかによる単なる設計事項に過ぎないものである。」(決定書11頁13行ないし19行)と判断するが、誤りである。
引用文献3の論文の表題は「高速加工のための軸受」というものであり、特に高速化が進められている工作機械における軸受の潤滑の問題を取り上げ、とりわけ「エアオイル潤滑」という特殊な潤滑方法に関する研究の結果を発表したものである。引用文献3に開示されている技術内容は、セラミックボール軸受を使用して、エアオイル潤滑を軸受箱のクーリングを行いながら実施し、軸受回転数と外輪外径部での温度上昇の関係について実験結果を得たというものにすぎない。
確かに、引用文献3には、軸受箱のクーリング方法として、軸受の外側にある流路にクーリング給油を行うことが示されてはいるが、このことは、単に「ことのついで」に記載されているのであり、「② 軸受箱のクーリング油の給油側から排油側に向かって温度上昇が高くなっている。」(75頁左欄3行、4行)との実験結果が記載されている。
このように、引用文献3の図13は、エアオイル潤滑をした場合のセラミックボール軸受についての、軸受回転数と外輪外径部での温度上昇の関係について知るための実験装置を示すものにすぎないばかりでなく、軸受を冷却する目的も、軸受箱を冷却して焼き付けを防止することにあるものと考えられる。図13に示されるように、軸受の外輪からやや離れた流路と外輪との間にエアオイルの通路が設けられていることからも、そのように理解される。
また、上記のとおり、「② 軸受箱のクーリング油の給油側から排油側に向かって温度上昇が高くなっている。」との実験結果が単に示されていることは、本件発明1ないし3との関係では、本件発明1ないし3が解決しようとした課題が未解決のまま残されていることを意味するものであるから、当業者には、このような技術内容を引用文献1に記載された発明に適用しようというような動機づけが出てくるはずがないというべきである。
第4決定の取消事由に対する認否及び反論
1 認否
原告ら主張の決定の取消事由は争う。
2 反論
(1) 取消事由1(課題設定の困難性)について
本件発明1ないし3における解決すべき課題が引用文献1の記載から示唆されることは、当業者にとって明らかである。
ア 引用文献1に記載された発明は、軸受の発熱によりウエーハ精度が影響を受けるという従来の技術の問題点に関し、溝ローラ(本件発明1ないし3の「ローラ」に相当する。)の温度変化に起因するウエーハ精度の悪化を解消するためになされたものであって(甲第3号証2頁左上欄13行ないし20行)、この点において、本件発明1ないし3が軸受における熱によるローラへの影響を問題としてその解決を図り(甲第2号証【0006】)、ウエーハ表面のうねりを低減するという効果を有すること(同【0037】)と軌を一にしたものである。
また、引用文献1には、「溝ローラの入側と出側とでは必然的に温度差が生じるため、オイルを所定の温度で溝ローラに供給するためには所定の温度差になるように制御する必要があり、」(甲第3号証2頁左下欄6行ないし9行)と記載されているように、オイルが溝ローラの一端側軸受中の流路に入り、溝ローラを経由して溝ローラの他端側軸受中の流路から出る第1図(別紙1参照)に示された装置では、溝ローラの両端部には温度差があること、すなわち温度勾配が溝ローラの軸芯の一端から他端に向けて存在していることが記載されている。
そして、溝ローラに温度差が存在すると、熱膨張の差に伴って溝ローラの溝ピッチが変化して、切断されるウエーハの精度が悪化することは明らかである。
このことは、引用文献1の第1表に示されるように、溝ローラ入・出口温度差が2゜Cの場合と5゜Cの場合では、5゜Cの場合においては、2゜Cの場合に比し、ウエーハ厚みばらつき平均とウエーハ反り平均が大きくなっていることによっても裏付けられる。
イ さらに、引用文献1に記載されたものにおけるそのような溝ローラの好ましくない温度勾配が、オイルを一端側の軸受部(軸支装置)から他端側の軸受部に流通させることに伴う吸熱により生じる一端側と他端側の軸受部の温度差によることは、技術常識からも明らかである。
(2) 取消事由2(構成の困難性)について
ア 引用文献2について
引用文献2に記載された技術的事項は、引用文献1に記載された発明と、ローラの軸支部の冷却に係る技術である点で共通しているものであり、また、本件発明1ないし3ともその点において共通するものである。
(ア) すなわち、引用文献2に記載されたものにおいては、「圧延機の作業側と駆動側の軸受に温度差があると、ロールへ伝達される熱に差が生じ、圧延材の断面形状が変化するとともに、・・・圧延ロールの各軸受部に同じ温度の潤滑油を供給し、・・・この各軸受部の温度を等しくするように上記各流量調節弁の開度を調節する制御部とから形成した。」(甲第4号証2頁18行ないし3頁15行)と記載されているように、ロールを作業側と駆動側において支持する両端の軸受に温度差があることによって、ロールへ伝達される熱に差が生じること、すなわちロールの軸芯の一端から他端に向けて温度勾配が生じていることに起因する熱膨張の差により圧延材の断面形状が一端から他端へ変化することを防止するために、各軸受の冷却を改善して各軸受温度を等しくすることにより解決を図っているものである。
このように、引用文献2に記載された発明は、軸受部からロールへ伝達される熱によるロールの温度勾配を問題点として、軸受部への冷却手段による解決を図るものである。
(イ) そして、本件発明1ないし3の課題ないし問題点は、前記のとおり、ロールを支持する一端側と他端側の軸受部の温度差がロールに与えられることによるロールの温度勾配によるものであり、この点で引用文献2に記載のものと技術的に共通するものであるから、本件発明1ないし3の進歩性の判断に引用文献2を採用することに何ら誤りはない。
(ウ) なお、引用文献2に付与された国際特許分類が本件発明1ないし3等のそれと一致していないことは、引用文献2を先行技術として採用できないことの根拠とはならないものである。
しかも、引用文献2には、軸受の冷却に係る国際特許分類(F16C 37/00)が付与されており、前記のとおり、本件発明1ないし3及び引用文献1に記載された発明は軸受部の冷却手段により問題点の解決を図ろうとするものであることから、本件発明1ないし3の進歩性の判断において、引用文献1に記載された発明に適用する技術として引用文献2に記載された軸受の冷却に関する技術を採用することは、付与された国際特許分類とも一致しているものである。
(エ) 原告らは、引用文献2に記載された発明においては、従来のケーシングを介して外側から軸受を冷却する技術が、軸受の外輪が冷えて内輪との温度差が大きくなり両輪の隙間が減少するという問題があることを解決するために、軸受に直接潤滑油を供給しているものであり、引用文献2を本件発明1ないし3の進歩性を否定するための資料とすることはできない旨主張する。しかしながら、引用文献2に記載のものにおいて、本件発明1ないし3の構成の一部として採用した技術事項は、各軸受部の温度を等しくするために、各軸受部のそれぞれに外部と連通する入口路及び出口路を形成することであって、軸受を直接冷却することではない。
また、引用文献2に記載された発明が、本件発明1ないし3のような軸受を外側から冷却するという従来の手段に替えて、軸受を直接潤滑油で冷却するようにしたのは、上記従来の手段では、軸受の両輪の隙間が減少すること、潤滑用給油配管以外に冷却用配管が必要となること、冷却効率が悪いこと(甲第4号証2頁9行ないし17行)のためであり、他方、軸受を直接潤滑油で冷却する手段では、軸受中にオイルを流通させるために流路抵抗が生じオイルの停滞が起きること(甲第2号証【0006】)は、技術常識であって、軸受を直接冷却するか軸受の外側から冷却するかは、これらのことを考慮して選択される単なる設計的事項にすぎないものである。
したがって、引用文献2に記載された発明が軸受を直接潤滑油で冷却する手段を採っているからとして、本件発明の進歩性の判断に引用文献2を採用することができないという原告らの主張は失当である。
イ 引用文献3について
(ア) 引用文献3に記載された装置がエアオイル潤滑における軸受の試験装置に係るものであって、クーリング給油が結果的に軸受の焼き付け防止に効果があるものであるにしても、クーリングというのは冷却を意味することから、引用文献3には、軸受の冷却を目的として、軸受の外側に形成した流路により冷却用の給油を行うことが開示されているものである。
なお、引用文献3において、軸受の外側に形成した流路により冷却用の給油を行うことについて、ことさら詳しく記載されていないのは、従来からの通常の技術にすぎないからである。
(イ) 原告らは、引用文献3には、軸受箱のクーリング油の給油側から排油側に向かって温度上昇が高くなっているとの結果が示されており、これは本件発明1ないし3が解決しようとした課題が未解決で残されているものであり、このような技術を引用文献1に記載された発明に適用する動機づけがない旨主張している。
しかしながら、本件発明1ないし3において温度勾配を解消しようとしているのは、軸受に支持されたローラにおける温度勾配であり(甲第2号証【0006】等)、引用文献3において温度上昇が一方に向けて高くなっているとする軸受部における温度勾配とは相違するものである。さらに、本件発明の実施例においても、図1の構造であれば、軸受部においては、冷却用のオイルは、螺旋溝32aの左端に供給されて、螺旋溝32aの右端から出口路28dを経て排出されるものであるから、オイルの吸熱作用に伴って軸受の外輪外径部分ではオイルの供給側である左端から排油側である右端に向けて温度が当然に上昇していることは明らかであり、軸受の外側に形成した流路により冷却用の給油を行う構成について、引用文献3に記載されたものと本件発明1ないし3との間に格別相違はない。
理由
1 本件発明1ないし3の概要について
(1) 本件発明1ないし3の要旨は、当事者者間に争いがない。
(2) 甲第2号証によれば、本件明細書には、次の記載があることが認められる。
【0001】【産業上の利用分野】 本発明は、半導体インゴット等の被加工物を切断してウエーハを形成するワイヤソー、及び、そのローラ軸支装置の温度制御方法に関する。
【従来の技術】・・・【0003】 しかし、ワイヤと被加工物との摩擦による発熱やローラの軸受部での摩擦熱により、切断中にローラの温度が変動して、熱膨張でワイヤ列のピッチが変動し、ウエーハ表面にうねりが生じる。回路の微細化が進んでいる今日、ウエーハ表面のうねりは、半導体装置の歩留まりを大きく低下させる。
【0004】 このうねりを低減するために、図3に示すようなローリング装置の構成が提案されている(特開昭62-251063号公報(注・引用文献1。本訴における甲第3号証))。
【0005】 このローリング装置は、軸芯1に主油路2を形成し、軸芯1を回転自在に支持する軸受6-1及び軸受6-2に流路を形成し、さらに、主油路2と軸受6-1との間及び主油路2と軸受6-2との間にそれぞれ潤滑油路3-1及び潤滑油路3-2を形成して、オイルタンクからオイル供給口7へオイルを供給し、軸受6-1、潤滑油路3-1、主油路2、潤滑油路3-2及び軸受6-2を通ってオイル排出口8からオイルを排出させている。そして、オイルタンク内のオイル温度が設定値になるように制御している。
【0006】【発明が解決しようとする課題】 ところが、オイルが軸受6-1を通るときに、軸受6-1で発生した摩擦熱をオイルが吸熱するので、温度が上昇し、これが軸受6-2を通るので、軸受6-2での吸熱効率と軸受6-1での吸熱効率が一般に異なる。両者の差は、オイル供給口7に供給されるオイル温度やオイル流量によっても変化する。吸熱量の差により、軸芯1の一端から他端へ向けて温度勾配が生じ、熱膨張率が軸芯1の長手方向に沿って不均一となり、スリーブ9の表面に形成したワイヤ溝のピッチが一定でなくなり、好ましくない。また、軸受6-1及び軸受6-2での流路抵抗は、軸受のスチールボールが密に配置されかつスチールボールが高速回転しているので、比較的大きい。このため、軸受6-1でオイルが停滞して吸熱量が大きくなり、前記差がさらに大きくなる原因となる。
【0009】 本発明の目的は、このような問題点に鑑み、ローラ両端部を軸支する2つのローラ軸支装置の温度を互いに略等しくかつ略一定に保持することができしかも構成が簡単なワイヤソー、及び、そのローラ軸支装置の温度制御方法を提供することにある。
【0037】 【発明の効果】以上説明した如く、本発明に係るワイヤソーでは、全ローリング装置の第1及び第2のローラ軸支装置の各々に、外部と連通する入り口路及び出口路と、軸受の外側に形成され一端部が入り口路と連通し他端部が出口路と連通した流路とが形成されているので、構成が簡単であり、各ローラ軸支装置の温度が所定値になるように循環液体の流量又は温度を制御する制御装置の制御も簡単になり、この制御装置により、各ローラ軸支装置の温度を互いに略等しくかつ略一定に保持することができるという効果を奏し、ウエーハ表面のうねり低減による半導体装置の歩留まり向上に寄与するところが大きい。
【0038】 本発明の第1態様によれば、第1温度センサでタンク内の液体の温度を検出し、切断開始前において、タンク内液体検出温度が第1設定値になるように該液体を加熱又は冷却するので、切断開始後の各ローラ軸支装置の温度をより短時間で定常状態にすることができるという効果を奏する。本発明の第2態様によれば、切断開始後において、該出口路から流出し該タンクへ戻される前の液体の温度を第2温度センサで検出し、その検出温度が第2設定値になるように該液体の流量を制御するので、簡単な構成で各ローラ軸支装置の温度を略一定に保持することができるという効果を奏する。
(3) これらの記載によれば、本件発明1は、引用文献1に記載されているような従来例の一端側軸受→溝ローラ(軸芯)→他端側軸受にオイル流路を形成したものでは、流路抵抗が大きいことも相まって、軸芯の一端から他端へ向けて温度勾配が生じ、熱膨張率が軸芯の長手方向に沿って不均一となり、ワイヤ溝のピッチが一定でなくなり好ましくないという課題があり、これを解決するため、両端軸支装置のそれぞれに入り口路、出口路及び連通流路を形成し、各軸支装置の温度が所定値になるよう制御する制御装置を有するようにしたワイヤソーである。これを冷却対象から見ると、本件発明1は、引用文献1記載の発明のように溝ローラを液体冷却するものではなく、軸受だけを個別に液体冷却して温度制御するというものである。
そして、本件発明2は、更に液温度の制御につき限定した発明であり、本件発明3は、液体流量制御につき限定した発明である。
2 本件発明1についての取消事由2(構成の困難性)について
まず、取消事由2について判断するに、結論として、仮に本件発明1の課題設定が容易であったとしても、以下に説示するとおり、本件発明1のように構成することには進歩性があったものと認めるべきである。
(1) 決定がした本件発明1と引用文献1に記載された発明との一致点、相違点の認定(決定書9頁6行ないし10頁13行)は、当事者間に争いがない。
(2)ア 甲第4号証によれば、引用文献2には次の記載があることが認められる(一部は当事者間に争いがない。)。
「従来、圧延機用ロール軸受の温度を調節する装置として実開昭62-29802号公報に示す装置が公知である。
この装置は、ロールの軸受を収納した軸受箱のケーシング内に冷却通路を形成して、この中に冷却水を通して、ケーシングを冷却することにより軸受の温度を下げるようにしたものである。」(2頁1行ないし7行)、
「さらに圧延機の作業側と駆動側の軸受に温度差があると、ロールへ伝達される熱に差が生じ、圧延材の断面形状が変化するとともに、ロールクーラント制御等で形状制御する場合、軸受の温度差分迄の余分な制御も必要となり、形状制御能力が低下する等の問題がある。」(2頁18行ないし3頁3行)、
「圧延ロールの各軸受部に同じ温度の潤滑油を供給し、」(3頁6行、7行)、
「この各軸受部の温度を等しくするように上記各流量調節弁の開度を調節する制御部とから形成した。」(3頁13行ないし15行)、
「ロールの作業側と駆動側の軸受部温度を同一に出来、ロールへ伝達される熱も同一となるため、圧延材の形状への熱による影響が同一となり圧延材の形状制御を単純化出来る。」(7頁8行ないし11行)
イ これらの記載によれば、引用文献2には、ロールクーラント制御、すなわちロールの冷却が別途行われていることを前提として、ロールの作業側と駆動側の軸受部温度を同一にする技術が開示されているものである。
(3) これに対し、本件発明1は、前記1のとおり、ローラは液体冷却せず、軸受だけを個別に液体冷却して温度制御するというものである。
また、引用文献1記載の発明は、溝ローラにオイルを供給してこれを冷却するものであって、各軸受の冷却は溝ローラにオイルを供給、排出するのに伴って行われるものである。
そうすると、ロールの冷却が別途行われていることを前提として、ロールの作業側と駆動側の軸受部温度を同一にする技術が開示されている引用文献2から、引用文献1において課題としている溝ローラの冷却を放棄してまで軸受部が同一温度になるように冷却するように構成することが容易に推考できるとはいえないものである。
(4) 被告は、引用文献2に記載された発明も、軸受部からロールへ伝達される熱によるロールの温度勾配を問題点として、軸受部への冷却手段による解決を図るものであることから、この点で引用文献1に記載された発明と技術的に共通するものであり、本件発明1の進歩性の判断に引用文献2を採用することに何ら誤りはない旨主張する。しかしながら、引用文献1に記載された発明は溝ローラを冷却する技術であるため、溝ローラの冷却を抜きにして軸受部の冷却のみを図ることは考え難いところであるから、技術的に一部共通するものがあるという理由のみで引用文献2に記載された発明を引用文献1に記載された発明に適用することが容易であるとはいえず、被告の上記主張は理由がない。
(5) なお、引用文献3には、工作機械の軸受の試験装置において、軸受の潤滑とは別に冷却用の液体流路を軸受の外側に形成することが記載されていること(決定書11頁6行ないし9行)は、当事者間に争いがないが、この引用文献3の記載を考慮しても、上記判断を左右するに足りない。
(6) よって、本件発明1につき、原告ら主張の取消事由2は理由がある。
3 本件発明2及び3について
本件発明2及び3は、前記1に説示のとおり、本件発明1を更に限定したものであるから、本件発明2及び3についても、原告ら主張の取消事由2は理由がある。
4 結論
以上によれば、本件発明1ないし3につき決定の取消しを求める原告らの請求は理由があるから、これを認容することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 永井紀昭 裁判官 塩月秀平 裁判官 市川正巳)
<以下省略>